2015年12月3日木曜日

夏目漱石「吾輩は猫である」より(その3)


吾輩は猫である。

吾輩もいろいろと失敗したり、気が滅入ったりすることがある。

『いっそのこと気をかえて新道の二弦琴のお師匠さん所の三毛子でも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美貌家である。吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている・・この異性の朋友のもとを訪問していろいろな話をする。すると、いつのまにか心がせいせいして今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生まれ変わったような心持になる。女性の影響というものはじつに莫大なものだ』

・・三毛子はおしゃれして赤い首輪をつけ鈴を鳴らしている。三毛子は吾輩を先生先生と呼んでくれる。吾輩が教師の家に住んでいるからだ。

・・吾輩は人間の話をきいていて人間は不思議なものだと思った。

『要するに主人も寒月も迷亭も太平の逸民で、彼らはへちまのごとく風に吹かれて超然とすましきっているようなものの、その実はやはり娑婆気もあり欲気もある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼らが日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼らが平常罵倒している俗骨どもと一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通のごとく、紋切り型のいやみを帯びてないのはいささかのとりえであろう』

・・こう考えると三人の談話がおもしろくなったが、三毛子の様子を見てこようと出かけることにした。・・しかし、その後、三毛子は死んでいくのだった。

『三毛子は死ぬ、黒は相手にならず、いささか寂寞の感はあるが、幸い人間に知己ができたのでさほど退屈とも思わね』―中略―『主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然異なるのはいたし方もあるまい。吾輩はどこまでも人間になりすましているのだかあら、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆に上がりにくい。迷亭、寒月諸先生の評判だけで御免こうむることにいたそう』

・・我が家にくる野良猫は私を観察しているように思える・・

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